手裏剣試行錯誤(水天宮自主稽古会)狙う事について

水天宮の手裏剣稽古。 
直前に声をかけたHさんとの2人稽古。 
手裏剣メインなのでHさんに譲る。 
先日のIさん同様、Hさんも集中し始めてから止まらなくなってきた。 
止まらないHさん。 

ヒマだ(笑) 
やはり今度から一人稽古じゃなければ三人以上稽古にしよう。 

手裏剣だけで終わる勢いになってきたが、最後に体術もちょこっとだけ。 
「空気投げ」である。 
恵比寿の復習を兼ねて動くと、Hさんが崩れる。 
悪くない。 

朝が早いというHさんが手裏剣にものすごく後ろ髪を引かれながら帰宅。 
私は一人で居残り手裏剣。 
刺中がうまく行くようになってきたので、的中を意識してみた。 
棒手裏剣は刺すのが第一関門なので、的を狙う的中の前にとりあえず刺さる刺中という段階がある(Google先生調べ)。私はいま刺す練習をしている段階だが、狙うとどうなるかちょっと試してみた。 

これまで手裏剣を打つときの状態に着目して稽古していたので良くわかる。 
的を狙うと動きが崩れるのだ。 
そこで求められるのが、「狙わずに動く」というもの。 
・狙うときは狙わない 
・狙うけれど狙わない 
何を言っているのかと自分でも思うが、感覚を言葉にするとこうなる。 
普通がどうなのかという疑問もあるが、今までの感覚で的を狙うと視線が居着く、意識が居着く、足が居着く、と狙っただけで一気に状態が固定化される。 
つまり、上に"狙わない"と書いたのは今までの感覚で狙わないということ。 

的は見るのだけれどそこに向かって動くのではなく、的を見るのは見えるのに任せておいて、手裏剣は今まで通り、打つのである。 
当然はずれることの方が多いが、小手先の調整で的中したところで何の稽古になるのかという感覚がある。 
気にせずこれで行こうと思う。 
が、その前に大きく距離を変えても刺中が成功するように稽古しよう。 
やればやるほど甲野先生のやる手裏剣の技術の高さが見えてくる。 

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