2010年最後の稽古について書いていなかった。
遅れて参加した半身動作研究会の稽古。
テーマは『離陸』
甲野先生の説明する『離陸』は足裏の垂直離陸だが、中島先生の稽古では、
足裏・手のひら・指・掴まれた場所、あらゆるところに離陸をかけた状態での動きを検証する。
『離陸』とは順逆拮抗の状態のこと。
・結果的に押すなら、引きながら押す。
・結果的に掴むなら、放しながら掴む。
・結果的に上げるなら、下げながら上げる。
離陸をかける場所は関係ないのである。
このように解釈し、稽古することで足裏の垂直離陸に対する理解も深まる。
この日も色々な形で『離陸』の稽古を行った。
相手を掴むとき、『離陸』では放しながら掴むのだが、これが感覚的に難しい。
中島先生の説明が理解を助けてくれる。
それは「離陸はパントマイムである。」というもの。
まず空中で相手の手を想定して実際に掴むようにパントマイムを行う。
掴もうとするけど掴めない。
パントマイムで行うので、結果的に放そうとする力を同時に発生させることになる(空気を掴むのだからそうなる)。
これを中島先生は『空握(くうあく)』と呼んでいるが、この状態こそ手のひらに『離陸』がかかった状態である。
この状態のまま相手の手を掴んで(というかこの形のまま触れて)、動いてみると相手が崩れる。
相手の状態によっては驚くほど崩れることがあるので、ちょっとだけ注意が必要である。
以前、稽古に参加した女性が家でお父さんにかけたところ、家の飾り棚のガラスをぶちやぶるほどお父さんが吹っ飛んだという話も聞いている。
ちなみに流血したお父さんをみてお母さんは爆笑していたそうな。
ポイントは『空握』の状態を変えないというところ。
相手に触れると、どうしてもあらためて握りなおしたくなる誘惑にかられる。
これはほとんど無意識的なので、ハマると抜け出すのが難しいが、ポイントは前に示した通り。
さてこの日、私の一番の目的は離陸に関連して中島先生にある質問をすることにあった。
それは、甲野先生最新の技の1つである「相手の拳を包むようにして掴んだまま、重みをかけて肘を極めていく」
というの(の私版)を受けていただいて、この技が『離陸』と全く違うのかどうかを確認することである。
甲野先生の説明は「腕は掴んでいるだけで、足裏をぬかるみから引っこ抜くように、
だが引っこ抜けないというつもりで引き上げようとすると結果として相手に重みがかかる。」というもの。
この説明は中島先生のする『離陸』の説明そのものである。
なので、私は甲野先生に「離陸とは違うのですか?」と聞いたのだが、
甲野先生は「離陸とは少し違う。離陸は足裏を均等に浮かせる感じ。これは引き上げようとするけどあがらない感じ。」と回答された。
中島先生に受けていただいて、甲野先生の説明もそのまま伝えたところ、「これは離陸ですね。」という感想をいただいた。
実際に離陸の感覚でやってみると(私のレベルなりでの)効果もそれなりにあるようである。
では甲野先生の説明がおかしいのかというとそんなわけはなくて(甲野先生の技だから当たり前ですが)、
私にとっては、甲野先生がどのような感覚に着目して技を行っているかのヒントをいただいたということになる。
私の理解では足裏均等も足裏の引き上げも『離陸』には必要な要素であり、どちらか一方の感覚ではない。
甲野先生自身も『足裏の垂直離陸』を説明されていたころは引き上げようとする感覚についても説明されていたはずなので、
動きが洗練されて自然な感覚になった結果、足裏を均等にする感覚になったと考えたほうが良さそうだ。
その感覚になった上で、「足を引き上げようとする。」のだから『離陸』とはちょっと違うのでしょう。
2010年最終稽古も面白かった。
遅れて参加した半身動作研究会の稽古。
テーマは『離陸』
甲野先生の説明する『離陸』は足裏の垂直離陸だが、中島先生の稽古では、
足裏・手のひら・指・掴まれた場所、あらゆるところに離陸をかけた状態での動きを検証する。
『離陸』とは順逆拮抗の状態のこと。
・結果的に押すなら、引きながら押す。
・結果的に掴むなら、放しながら掴む。
・結果的に上げるなら、下げながら上げる。
離陸をかける場所は関係ないのである。
このように解釈し、稽古することで足裏の垂直離陸に対する理解も深まる。
この日も色々な形で『離陸』の稽古を行った。
相手を掴むとき、『離陸』では放しながら掴むのだが、これが感覚的に難しい。
中島先生の説明が理解を助けてくれる。
それは「離陸はパントマイムである。」というもの。
まず空中で相手の手を想定して実際に掴むようにパントマイムを行う。
掴もうとするけど掴めない。
パントマイムで行うので、結果的に放そうとする力を同時に発生させることになる(空気を掴むのだからそうなる)。
これを中島先生は『空握(くうあく)』と呼んでいるが、この状態こそ手のひらに『離陸』がかかった状態である。
この状態のまま相手の手を掴んで(というかこの形のまま触れて)、動いてみると相手が崩れる。
相手の状態によっては驚くほど崩れることがあるので、ちょっとだけ注意が必要である。
以前、稽古に参加した女性が家でお父さんにかけたところ、家の飾り棚のガラスをぶちやぶるほどお父さんが吹っ飛んだという話も聞いている。
ちなみに流血したお父さんをみてお母さんは爆笑していたそうな。
ポイントは『空握』の状態を変えないというところ。
相手に触れると、どうしてもあらためて握りなおしたくなる誘惑にかられる。
これはほとんど無意識的なので、ハマると抜け出すのが難しいが、ポイントは前に示した通り。
さてこの日、私の一番の目的は離陸に関連して中島先生にある質問をすることにあった。
それは、甲野先生最新の技の1つである「相手の拳を包むようにして掴んだまま、重みをかけて肘を極めていく」
というの(の私版)を受けていただいて、この技が『離陸』と全く違うのかどうかを確認することである。
甲野先生の説明は「腕は掴んでいるだけで、足裏をぬかるみから引っこ抜くように、
だが引っこ抜けないというつもりで引き上げようとすると結果として相手に重みがかかる。」というもの。
この説明は中島先生のする『離陸』の説明そのものである。
なので、私は甲野先生に「離陸とは違うのですか?」と聞いたのだが、
甲野先生は「離陸とは少し違う。離陸は足裏を均等に浮かせる感じ。これは引き上げようとするけどあがらない感じ。」と回答された。
中島先生に受けていただいて、甲野先生の説明もそのまま伝えたところ、「これは離陸ですね。」という感想をいただいた。
実際に離陸の感覚でやってみると(私のレベルなりでの)効果もそれなりにあるようである。
では甲野先生の説明がおかしいのかというとそんなわけはなくて(甲野先生の技だから当たり前ですが)、
私にとっては、甲野先生がどのような感覚に着目して技を行っているかのヒントをいただいたということになる。
私の理解では足裏均等も足裏の引き上げも『離陸』には必要な要素であり、どちらか一方の感覚ではない。
甲野先生自身も『足裏の垂直離陸』を説明されていたころは引き上げようとする感覚についても説明されていたはずなので、
動きが洗練されて自然な感覚になった結果、足裏を均等にする感覚になったと考えたほうが良さそうだ。
その感覚になった上で、「足を引き上げようとする。」のだから『離陸』とはちょっと違うのでしょう。
2010年最終稽古も面白かった。
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