・前腕は力を通す管。
・肘から先はモノとして使う。
・肘から先を運ぶだけ。
という説明から始まった中島先生のワンテーマ講習会。
今回はテーマは「手に体幹の重さを伝える」
個人的に今回は相手からの感触次第で、実に力みやすいということを再認識することが出来た。
特にFさんとの稽古では、Fさんが何か特別なことをしているわけでもないのに私の方が力むこと力むこと。
肘から先はモノとして使うということを意識すると動くには動くが、
モノとして使うことで力みを無視しているだけになっていたようにも感じる。
そうじゃないだろうという感覚。
これはちょっと苦労しそうだ。
■チョロQ理論
半身動作研究会の稽古でしばしば言われるのが、
「相手が動き始めるので、相手の動きについていく。」
というもの。
この日はこれをチョロQを喩えにした説明があった。
喩えに仰々しさが全くないところが中島先生らしい。
走るチョロQの前に壁を置くと、チョロQは止まる。
しかし、ゼンマイが巻いてあるので進もうとする力が消えたわけではない。
見た目に止まっているようでも働きは消えていないということ。
壁が後退すればチョロQはその分だけ進むし、壁を取り除けばチョロQは走り出す。
相手に触れている状態での「ついていく」がチョロQの動きで説明できるということ。
ただし、チョロQと壁の場合と、人間と人間の場合では止まったときの作用が異なる。
相手に触れるとき、触れれば止まってしまうほどの力でも、
動き続けようとする働きを保ったまま触れると、触れた瞬間相手(チョロQで言うと壁)が動き出す。
動き出したらその相手の動きについていく。
チョロQがぶつかって止まっている壁を後退させると、後退させた分だけチョロQが進むのと同じ。
相手を壁だとすると壁を動かそうとしてはいけない。
壁が動くから自分もその分だけ動くのである。
逆に、チョロQなのだから壁が動いているのに自分が止まっていてはいけない。
壁を動かしてはいけないけれど、動きの働きは止めてはならないのである。
■進み続ける働きと、押すことの違い。
通称「E木崩し」、「白川崩し」と言われる相手の背後から肩に手をかけて相手を崩す形の技での検証。
この稽古は、相手の肩に手が触れているだけで相手が崩れていくという不思議技に見えるので単純に楽しい。
受けても特に何かされている感触がないのに崩れていくのがこれまた楽しい。
しかし初めてやる方の場合、ただ触れているだけということが難しい。
(この程度で相手が動くはずがない)という程度の触れ方で十分なのだが、ついつい下方向あるいは後ろ方向に相手を押すか引っ張るかしてしまう。
このように触れられた場合、受け側は受けた力に対抗する反応が生じる。
押してはいけないのである。
■柔らかく触れ続けることと、意識的に押さないことの違い。
では(押さないように、押さないように柔らかく。)と意識的に力を加減したくなる。
しかしこのように意識的に加減する動きでは相手の動きには「ついていく」ことが出来ない。
どうしても相手から離れてしまう(引いてしまう)瞬間が生じてしまうのである。
相手から手が離れれば、相手の動きはとまってしまう。
意識的に押さないのもまたいけない。
私の稽古を振り返ってみると「押してはいけない。」という感覚が芽生えてから、
「押さないように。」と思いすぎて、今度は引いてしまう失敗を続けているうちに
「ついていく。」がある程度納得いく動きになってきているように思える。
まずは自分が「押してしまっている。」「引いてしまっている。」ということの気づくところから。
気づいたらそれをやらないように稽古が出来る。
気づくにはどうしたら良いかと言えば、ひたすら技を受けて(確かに押していない。確かに手が離れない。)ということを繰り返し体感するのみである!
だから技を受けるというのは本当に良い稽古になるのだ。
・肘から先はモノとして使う。
・肘から先を運ぶだけ。
という説明から始まった中島先生のワンテーマ講習会。
今回はテーマは「手に体幹の重さを伝える」
個人的に今回は相手からの感触次第で、実に力みやすいということを再認識することが出来た。
特にFさんとの稽古では、Fさんが何か特別なことをしているわけでもないのに私の方が力むこと力むこと。
肘から先はモノとして使うということを意識すると動くには動くが、
モノとして使うことで力みを無視しているだけになっていたようにも感じる。
そうじゃないだろうという感覚。
これはちょっと苦労しそうだ。
■チョロQ理論
半身動作研究会の稽古でしばしば言われるのが、
「相手が動き始めるので、相手の動きについていく。」
というもの。
この日はこれをチョロQを喩えにした説明があった。
喩えに仰々しさが全くないところが中島先生らしい。
走るチョロQの前に壁を置くと、チョロQは止まる。
しかし、ゼンマイが巻いてあるので進もうとする力が消えたわけではない。
見た目に止まっているようでも働きは消えていないということ。
壁が後退すればチョロQはその分だけ進むし、壁を取り除けばチョロQは走り出す。
相手に触れている状態での「ついていく」がチョロQの動きで説明できるということ。
ただし、チョロQと壁の場合と、人間と人間の場合では止まったときの作用が異なる。
相手に触れるとき、触れれば止まってしまうほどの力でも、
動き続けようとする働きを保ったまま触れると、触れた瞬間相手(チョロQで言うと壁)が動き出す。
動き出したらその相手の動きについていく。
チョロQがぶつかって止まっている壁を後退させると、後退させた分だけチョロQが進むのと同じ。
相手を壁だとすると壁を動かそうとしてはいけない。
壁が動くから自分もその分だけ動くのである。
逆に、チョロQなのだから壁が動いているのに自分が止まっていてはいけない。
壁を動かしてはいけないけれど、動きの働きは止めてはならないのである。
■進み続ける働きと、押すことの違い。
通称「E木崩し」、「白川崩し」と言われる相手の背後から肩に手をかけて相手を崩す形の技での検証。
この稽古は、相手の肩に手が触れているだけで相手が崩れていくという不思議技に見えるので単純に楽しい。
受けても特に何かされている感触がないのに崩れていくのがこれまた楽しい。
しかし初めてやる方の場合、ただ触れているだけということが難しい。
(この程度で相手が動くはずがない)という程度の触れ方で十分なのだが、ついつい下方向あるいは後ろ方向に相手を押すか引っ張るかしてしまう。
このように触れられた場合、受け側は受けた力に対抗する反応が生じる。
押してはいけないのである。
■柔らかく触れ続けることと、意識的に押さないことの違い。
では(押さないように、押さないように柔らかく。)と意識的に力を加減したくなる。
しかしこのように意識的に加減する動きでは相手の動きには「ついていく」ことが出来ない。
どうしても相手から離れてしまう(引いてしまう)瞬間が生じてしまうのである。
相手から手が離れれば、相手の動きはとまってしまう。
意識的に押さないのもまたいけない。
私の稽古を振り返ってみると「押してはいけない。」という感覚が芽生えてから、
「押さないように。」と思いすぎて、今度は引いてしまう失敗を続けているうちに
「ついていく。」がある程度納得いく動きになってきているように思える。
まずは自分が「押してしまっている。」「引いてしまっている。」ということの気づくところから。
気づいたらそれをやらないように稽古が出来る。
気づくにはどうしたら良いかと言えば、ひたすら技を受けて(確かに押していない。確かに手が離れない。)ということを繰り返し体感するのみである!
だから技を受けるというのは本当に良い稽古になるのだ。
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