起倒流一本目『軆(たい)』

Oさん主宰の恵比寿稽古会に参加した。

この日は何と言っても起倒流の一本目『軆(たい)』だろう。
Oさんが先週Wさんと一緒に検討したという形を紹介してくれた。
見た目には、技が掛かるようには見えない。


「その受けの仕掛けに対して、その取りの動きで技が掛かりますか?」

全然技が効くように見えないのだが、疑問を確かめるにはやってみるのが一番早い。

私が受けでOさんとやってみると、面白いことに、これが掛かる。
柔らかく、抵抗感が出ない質の、まさしく柔術の形といって差し支えない感触だった。


床が板なのでゆっくりとだったが、二本目の『夢中(ゆめのうち)』もこれの続きとしてやってみると、取りも面白い。
身を捨てるだけ。技を施している感触が全くないのだが、相手は前に転がるのだ。
甲野先生の著書『神技の系譜』にも記載があるが、起倒流の名人と言われた加藤有慶の『私が投げたのか相手が転んだのか、それは私にもわからない』という台詞が、実感と現実味を帯びてくる。


一本目の感覚は、形は違うが先日やった柔道の試合で施した返し技の感覚に近い。
試合では一緒に倒れた結果相手に一本が入ったが、『軆』の体捌きで返せば綺麗な一本になりそうだ。


実際に『大内刈』の仕掛けに対して、『軆』と同じように返すというのを試してみたが、やはり実践でも有効なのではないかと思われる。
そこから、軆で返すときの体捌きでは、Iさんがやっていた流派の胸を直線的に落としていくような体捌きが有効だと確認できた。
この体捌きは、『体落』にも応用できる。


講堂館柔道『古式の形』に伝わる『起倒流』の研究から、柔道技への応用に繋がり、また柔術の体捌きにいってそれを柔道に応用するという、私にとっては何をしても楽しい稽古になった。

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