松聲館の技法レポート『上達論の影響』

甲野先生のメルマガ動画撮影終了。『上達論』を書いた方条さんとの稽古で激変した動きをあらためて体感した。急速に成長する蔦が絡まるような動き。こちらが襟を掴みに行くところを下から跳ねあげるように腕で弾かれる。甲野先生の動きの自由度が増した印象を受けた。

甲野先生のメルマガ動画撮影。今日はちょっと不思議な回だった。先生の気付きの説明を聞いたそばからこちらの受けが大きく変わって崩されにくくなり、それを受けて先生が変わる。いつものことだけれど、今回このサイクルが自分には速すぎるくらい引っ張りあげられた感じがした。

甲野先生
身近な人物の上達を、本当に喜べるのは、そのお陰でこちらも、また新しい世界が開けて行くからです。40年以上前、ひどく未熟ながら、独立して「武術稽古研究会」を立ち上げたのは、それを目指したわけですが、その会を解散して当初の願いが実現してきたのは、何とも不思議な巡り合わせです。

とにかく、武道界は「生涯現役」を標榜する師範が多いことはいいのですが、自分の権威を高めるため、自分の技にかかりやすい弟子を可愛がり、上達して技が掛かりづらい者を疎んじる傾向があります。

試合のない武道は、その傾向が特に顕著です。それだけに指導的立場に立つ者は、このことを十分考えなければならないのですが、有名な師範であっても、お山の大将的な人が少なくなく、「ああはなりたくない」という見本だけは、見飽きるほど見ました。

私が独立したのは、そうした環境では、上達が望めないからでしたが、今あらためて感じることは、技が上達している者がどのくらい出るかは、その指導者の「凄いと思われたい」というエゴが、どれほど少ないかが、大きく関わっていると思います。

また、私の稽古会の常連の人達の間で、ライバル意識からくる陰険な足の引っ張り合いが見られないのは、常連の人達それぞれが、自分流の武術の開祖を目指しているため、技が出来る人は自分にとって参考になると捉えているからだと思います。

何しろ私をよく理解している人ほど、私の後継者になろうなどと誰も考えておらず、それぞれが目指す武術の開祖を目指していて、それが結果としてトラブルのない稽古会をつくり上げているのだと思います。

こうした「松聲館スタイル」の稽古会の雰囲気が形成される上で、田島さんが果たされた役割は少なくないと感謝しております。

田島
上下関係がなく、好きに稽古できて、いつでも技を受けられて、質問すれば回答がきて、同じように試行錯誤する相手がいて。本当に恵まれた稽古環境です。自分で稽古しないと上達しないので私などは亀の歩みですが気づけば14年以上も続いていて、ますますのめり込んでいます。ありがとうございます。

甲野先生
田島さんのような、誰もが納得のいく、見本のような存在が、松聲館スタイルを醸成できた、いわば酵母だと思います。感謝しております。

田島
勘弁してください。先輩方が育ててきた糠床に漬かっているだけですので。


具体的に実感したのは『浪之下』を受けた時。先生の技を止めようとするのだけれど抵抗するのとは異なる感覚。先生の動きをもらってこちらが動くように一体化する。抵抗しているのか一緒に動いているのか攻めに転じているのか境界がなくなった。受けた直後にこれは理想としていた動きだと実感していた。

この受けは私が説明すると『謙譲の美徳』で受けるになるし、この受けができた大きなきっかけになった小磯さんなら『釣り合い』で説明されるだろう。それにしても先生の技を受けて衝撃を受けることは今まで何度もあったが、技を受けている自分に理想に近いものを感じたのは初めて

『上達論』を読んだタイミングもちょうど良かった気がしてならない。

メルマガ動作撮影。甲野先生の技の感想続き。剣の鋭さが一層増している。ソフト剣なら腕でごまかせるが、やたら長い木刀も松聲館でしか見ない重量級の木刀を高速で切り返す様子はもはやスピード違反。あれで手の内が痛くならないというから「体で操作する」の説明の通りなのだろう。驚くしかない。


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